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巨峰

巨峰巨峰



「ブドウといえば?」



と聞かれると、黒々とした大粒なブドウをイメージされる方が多いはず。

その代表格のブドウと言えば、そう!みんな大好き巨峰です!


巨峰と言えばブドウの王様、日本を代表する甘く美味しいブドウです。




スーパーでもよく見る巨峰は私達にとって身近なブドウの品種ですが、

  • 巨峰がもっとも美味しいくなる時期はいつ?

  • スーパーで選ぶ時に美味しい巨峰を選ぶポイントは?

  • 巨峰をギフトとして贈るのは、有りor無し

  • あまり知られていない巨峰誕生のお話 などなど



そんな巨峰について、プロの青果店が徹底解説します!


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巨峰データ

巨峰ブドウ
巨峰農園


  • 血統/ 石原早生×センテニアル
  • 正式名称/ 石原センテニアル
  • 誕生/ 1942年
  • 時期/ 5月~11月
  • 旬/ 6月~9月
  • 主な産地/ 長野県・山梨県・福岡県
  • 皮/ 食べにくい
  • 種/ 種無し品種あり
  • 巨峰を親に持つ品種/ ピオーネ、ナガノパープルなど

  • ブドウの品種別生産量全国1位
  • 御中元、暑中見舞い、残暑見舞いなど贈答品におススメ

ブドウの品種一覧・保存方法・栄養素・生以外のおススメブドウ料理はこちら



巨峰の旬

巨峰ブドウ
化粧箱入り巨峰 大粒で味も見栄えもよく贈答品に最適


栽培技術の向上によりハウスでの栽培だと5月くらいから出回り始め、秋の終わり11月頃まで出荷されます。


一番美味しい時期は6月~9月頃。

出始めの5月頃と、終わりの11月頃は品質が安定せず、値段も高くなる傾向があるので6月から遅くても9月頃までの巨峰がおススメです。


旬の時期の巨峰は1房/500g以上のビックサイズもよく出荷され味も◎


巨峰の旬の時期に、

  • 御中元
  • 暑中見舞い
  • 残暑見舞い

などなど贈り物をする機会が多くなるので、巨峰は贈答品としても最適です。



美味しい巨峰の選び方

巨峰ブドウ

  • 茎が太く緑色のもの(鮮度が落ちると茶色に変色していく)

  • 黒ブドウは黒色に近く濃い紫色をしているもの

  • 赤ブドウは濃い赤色をしているもの

  • 緑ブドウは鮮やかな黄緑色をしているもの

  • 実に張りがあり、粒がおおむね揃っている

  • 白い粉(ブルーム)が付いているものはより新鮮


果物を選ぶのはなんだか難しい・・・

そう思われる方も多いはず。


しかし安心してください!


スーパーなどで購入する時でも、上記の部分を目安にして美味しい巨峰をGETしましょう。

特に茎の部分の変色などは分かりやすいのでチェックポイントです。

緑色の茎を見つけて下さい。また粒の表面に付いている白い粉、ブルームと言うのですが、これは残留農薬などではなく自然に付くもの。


逆に、新鮮なブドウにしか付かないので、ここもチェックしやすい所です



巨峰の産地・収穫量

巨峰収穫量
農林水産省平成29年産特産果樹生産動態等調査 より

  • 1位・・・山梨県 29%
  • 2位・・・長野県 27%
  • 3位・・・福岡圏 10%
  • 4位・・・愛知県 5%
  • 5位・・・新潟県 3%

1位と2位の山梨県と長野県で全国の巨峰を半分以上栽培しています。


3位は巨峰栽培の発祥の地、福岡県。
福岡県の巨峰も山梨県や長野県に負けず劣らず、大きく甘い巨峰が味わえます。


巨峰の栽培面積トップ3は、全てのブドウ品種の収穫量トップ3と同じです。


やはり全国で1番栽培されている品種です。
巨峰は日本のみんなに愛されているブドウなんですね。



「栽培価値がない」批判され続けた巨峰のお話

第二次世界大戦中に誕生した新ブドウ


巨峰の産みの親である農業科学者の大井上 康さんは大井上理農学研究所を設立し、「日本の土地に合った大粒の生食で美味しいブドウを作る」事を目的に研究を開始。


これが1919年のことです。


この当時、海外から入ってくるブドウの品種は日本の高温多湿の気候に合わず栽培が非常に困難でした。

それもそのはずで、ブドウは元々乾燥地域が原産。そのまま植えても上手く育つはずがありません。

また日本でブドウ=生食ですが、海外だとブドウ=ワインなので、生食の考えが少なく小粒のブドウが大半でした。


そこで大井上さんは、日本人に合った食味のよい大粒のブドウを作る研究を始めました。




ブドウの研究が開始されてから23年の月日が流れ、何度も試行錯誤し、失敗を繰り返していく内に1つの成果がでます。



1942年にアメリカとヨーロッパの交配種である岡山県産「石原早生」とヨーロッパ系の大粒種「センテニアル」を掛け合わせて誕生したのが「石原センテニアル」です。


この「石原センテニアル」これが「巨峰」の正式名称なんです。



当時、静岡県にあった大井上理農学研究所では富士山が綺麗に見えたそうで、富士山から連想された巨峰は商品名として名付けられました。

”巨大な峰→巨峰”

日本一のブドウにする!と言う強い思いも込められたのではないでしょうか。




ただ、巨峰が世間一般に広がるのはまだまだ先の話。



高温多湿の日本の土壌に適し、大粒で食味の良い品種ができたのですが、作るのが難しかったのです。

大粒に実る巨峰は、上手くいけば凄く美味しい実が付くのですが、少しでも失敗すると品質が悪くなり、当時は上手く栽培することが非常に困難でした。


上手く栽培できるよう研究をしていこうとした時、第二次世界大戦が激しさを増してきます。


戦火の中、大井上さん達は必死に苗を守り続けます。


この当時、戦時中・戦後と嗜好品である果物の研究より主食のコメを作れ!と日本国内全体が食糧難にどう立ち向かうか?が焦点だったので、果物に関心が持たれる事もなく、ブドウの研究すらも大々的に行うことが困難に。

逆に果樹を栽培・研究すること自体が批判されるほどになってしまいます。

巨峰のすばらしさを世間に訴えるほど批判される、今では到底考えられない事です。



密かに研究が進められているさなか、産みの親である大井上 康さんは最後までブドウの話をされながら1952年に逝去されました。



大井上さんが生きている間に、日本人に合った大粒で美味しいブドウ、巨峰が世の中に出る事はありませんでした。



親から子、弟子へ受け継がれた意志


そんな中、大井上理農学研究所の代表を大井上康さんの息子である静一さんが就任し、亡きお父さんの意志を継ぎ、巨峰の研究が進められることになります。


しかし、ここからも苦難が続きます。


1957年に大井上理農学研究所チームが巨峰の権利などを守る為に当時の農林省(現材の農林水産省)に種苗名称の登録をするも拒絶されます。

農林省の公式文章に「脱粒がひどい巨峰は栽培価値がない」と酷評されてしまいました。

「実がなりにくく、実がしっかりなったとしても輸送中に実が取れてしまうことが多く、お店に並ぶ前に商品価値がなくなってしまう」という事から巨峰が認知されなかったのです。



しかしこの後、巨峰が世の中に認知される”きっかけ”がありました。



長年の試行錯誤が「実を結ぶ」時


戦争と栽培の困難さから中々世の中に認められない巨峰。


戦後からしばらくし、稲作から果樹栽培へ転換していこうという広がりがありました。

福岡県田主丸町(今の久留米市田主丸町)もその1つ、この土地で新しい農業をする為、九州理農研究所を設立。

越智通重さんのもと、研究が進められていきました。



始めはカキやスイカを栽培し研究所の資金源としていましたが、もっと新たな果物を栽培しようと目に付けたのが「巨峰」でした。

何をかくそう、越智通重さんの師匠は大井上康さんだったのです。


全国で巨峰の栽培が試されてはいましたが、研究所レベルで巨峰に携わっていたのは田主丸だけでした。




それから3年後・・・



越智通重さんを中心に巨峰を栽培させる事に見事成功!
栽培の過程で、偶然にも田主丸地域は巨峰に最適なことも判明しました。

「こんな大粒で甘いブドウはみたことねぇ!」

田舎の小さな研究所から栽培が難しいとされる巨峰を作る事に成功したことは快挙でした。


1粒で直径3cm・15gの大きさ、糖度20度を誇る甘さに世間のみんなは驚き、驚愕。巨峰はたちまち評判となりました。



1919年に「日本に大粒で生食でも美味しいブドウを」と研究・栽培されてから巨峰が世間に認知されるまで実に40年以上の月日が流れました。


売れない巨峰、逆転の発送が生んだ「今では常識」なある事


長年の苦労を重ね、大井上 康さんから息子、弟子へと受け継がれてきた巨峰。


「大粒で甘くて美味しい!」


と地元でも評判にもなりましたが、甘く大粒という事は裏を返せば、傷みやすく粒が落ちやすいという事。

当時は市場に運ぶまで今とは違い、かなりの時間がかかっていた為、青果市場関係者から相手にされませんでした。



せっかく美味しいブドウが出来たのに、それを流通させれず、みんなに食べてもらえない・・・

悔しい気持ちでいっぱいだったはずです。



そこで巨峰農家さん達は直接消費者へアプローチする事に舵をきります。

現代でこそ生産者から消費者へ繋がることは当たり前ですが、この当時はそんな事例は少なく、全ては試行錯誤。


TVやラジオなど思いつくままにPRしていきました。


そんな色々な案が出る中、バス会社と話をした時に「巨峰を運べないならお客さんから来てもらおう!」とブドウ農園まで行くバスツアーを企画。




これが大ヒット!




自動車から観光バスまで田舎の田主丸は大渋滞となる程に。


始めはブドウをつまみながらブドウ農家さんが巨峰やブドウの解説をするスタイルでしたが、直接ブドウを狩ってもらう、いわゆる「ブドウ狩り」へと変わっていきました。


高度成長期の日本の経済発展も背景に「お洒落なレジャー」感覚として空前のブームとなり、今の「果物狩り」の先駆けとなりました。





戦争時代に翻弄され、周囲の批判を浴び続けても「日本人に合った大粒で美味しいブドウを作る」という信念の下、大井上さんを始めとする研究者や農家さんの凄まじい努力の上に誕生した巨峰。



今ではあたりまえに販売されていますが、先代の努力のおかげでこの巨峰があるのだと、少しでも感じながら食べる事ができれば、また違った味わいになるのではないでしょうか?



まとめ


改めて巨峰について色々調べていると、巨峰の生い立ちが壮大なストーリーがあった上で誕生していた事を知り、どうしても皆さんに知って欲しいと思い記事にしました。

(思った以上に長文になってしましました。)



巨峰は大粒で甘く、ブドウの酸味との絶妙な味わいが、私も大好きです!



今年の夏は巨峰を食べて、美味しく夏バテ予防しましょう!



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